教<育

 人間が人生において成幸するためには「知性」は不可欠です。だからこそ大人は子供たちの勉強することの必要性を訴えます。ところが世の中を見ていると「高学歴で頭はいいのだけど…」という人が案外多いことも事実です。


 有名大学卒なのに、仕事に対しての工夫や発想が欠けていたり、コミュニケーションが攻撃的であったり、閉鎖的であったり。充分な「知性」を持ちながら、そのことが成幸や幸福に結びつかないケースがあるのはどうしてでしょうか。


 それは「感性」が乏しいからなのです。ここでいう「感性」とは「ひらめき・直感・好奇心。発想力」など、広い意味での「感性」です。せっかく「知性」豊かに育っても、「感性」が乏しければ、宝の持ち腐れになってしまいます。これからは「知性」と「感性」がうまく作用しあって、両方がともに成長できるような教育システムが必要なのです。


 また、「education」(教育)の語源は「educe」(引き出す)からきてるそうです。「教育」とは文字通り「教える」と「育む」から成り立つ言葉ですが、今の日本教育は「教」の方に偏重している傾向があり、子供の能力を引き出す「育」の方をもっと重要視するべきだと思います。


 どんなに素晴らしい教えを説いても、肝心の教わる側が耳をふさいでいれば意味がなく、ただ教える側の自己満足に終わってしまいます。まずは、教わる側が心を開くように接するべきです。外(大人)から内(子供)にベクトルを向けるのではなく、内(子供)から外(大人)にベクトルが向くような教育が必要なのです。子供たちの内にある「答え」を外に出せるような手助け・アドバイスこそが教育の本質だと思います。


 そのために、大人が上から目線で詰問するのではなく、同じ目線で質問することが大切なのです。結果ばかりを重視し、偏差値や点数という数値で判断するのではなく、子供本人が自分で深く考え、答えを出そうとするプロセスが大事なのです。そして、結果が伴わなくても、プロセスの段階でしっかりと褒めてあげたり、励ましてあげたりすると、やる気が持続できるのです。


 これからの将来を担う子供たちをより良い方向へ導くためにも、家庭、学校、地域の大人たちこそが「学ぶ」必要があるように思いますし、私自身も学んでいこうと思っています。


成幸舎代表 大浜寅貴


>
inserted by FC2 system